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BLOG: backnumbers2019年04月 | 2005年 02月 ■2005.2.28(月): ダビング&ミックスダウン。 いいですね、モノラル。私は好きです。 これはモノラルとは言わないが シンバルの類いだけ左右に振ってあとは全部ど真ん中。 この潔さは捨て難い。 そう、パソコンがしばらくいじれないかもしれません。 更新が滞るかもしれません。 これだけ続けていると精神衛生上よろしくないので なるべく早く帰ってこようと思っております。 あ、T-シャツは完成。超カワイイ〜と自分でいってみる。 はあ、なんだかな、 寒いな。 明日、チェルシーホテル。 こっちのほうはがっつりいきますよ、がっつり。 ■2005.2.27(日): リズム録り。 2曲、2日間のレコーディング開始。 今日はベーシックの録音。 と思っていたのだがオケはとりきった。 優秀ぅ〜。 しかしだ、頼まれたT-シャツのデザインがまだおわらん。 かなりの自信作なのだが、、、。 ■2005.2.25(金): 代官山のお店。 以前行った時のボトルを干しに出かけた。 とはいえ打ち合わせね。 ここはBGMがほとんどthe roostersがかかっている。 たまらんよ。話がしづらいのはいちいち「うおっ!」とか反応してしまうからだ。 だんだん何をしているのかわからなくなってきた。 明日はなんだ? ■2005.2.24(木): 凄い。 私達がライブ翌日にリハーサルを入れるなんて。 寝て終わるような一日が充実したよ。 忙しくしていると休みたいと思うが 少々自律神経がイカれようと知ったことか。 良い曲が上がればそれでいーじゃないか。 ■2005.2.23(水): wednesday toilet. tae at 下北沢club QUE. どのバンドも好いバンドだった。しかし若者ねぇ、、、 段々と曲も増え、30分ステージではやりたい半分も出来ない。 久々に会った大切な友人も元気そうだった。 今度誘うから一緒に出かけよう。 さてさて、、、 ■2005.2.20(日): ひとりフラフラ。 下北沢。 みんな帰ってしまったので軽く電話魔になりながらはんへ。 休業、、、ジュースへ。 誰も連絡が取れずカウンターにてもっちとお話。 ジュースにはプロモーションヴィデオがもう2万曲あるんだそうな。 本気の趣味は商売になる! 目指せタモリ倶楽部、文化人への道。 ■2005.2.19(土): 子供会のお兄ちゃん。 私が高校生の頃、子供会の兄ちゃんをやっていた事がある。 ある夏の日、1日親子が学校で過ごす日曜日があった。 いろいろな個性を持った子供達が集まってひたすら遊ぶ。 夕飯はカレーライス。もちろんみんなで作る。 メインは校庭でのキャンプファイアー。 髪を立てズタボロのジーンズに 安全ピンを100本程あしらったジッパー付きのベスト。 当然子供達にはウケる。 ウケるといっても蹴られたり殴られたり散々だ。 一人私から離れない子がいた。 “子”といっても歳も体格も上だ。 その時私はそれを“個性”と感じようと“努めた”。 包丁を振り回しながら笑ってこっちに突進してくる彼は 正直恐かったけど危害を加えようとしている訳ではない。 遊んでいるのだ。きっと。 私は話した。包丁はおもちゃではない事を。 僕等は並んでにんじんを切り始めた。 ありがとう、これがカレーになるのです。 全てが終わりあまりにもあっさりと帰って行く子供達。 その時の感じは感動というか切ないというか、、、。 17歳の私にも彼等のまっすぐさは思いっきりきた。 ちょっとした理解があれば教えてもらえるのに。 なんて、ちょっと思い出した話。 鉄棒にぶら下がり「ぶたの丸焼き」とかやっている パンクな兄ちゃんがいた事を憶えてる人いませんか? ■2005.2.18(金): いまいち。 ふるわん、、、。 頑張るな、俺。 取り戻せ、だめなら いちからまた積み上げろ。 へこむな、 相手はまた憶えていない。 忘れるな、忘れるということを。 笑ってて、そして寝返りを打てばいい。 ■2005.2.17(木): 春。 一瞬で春を感じる時がある。 ある人がその瞬間が1年の内で一番好きだと言った。 ネイティブアメリカンには1年、1日を一生とする考え方がある。 日々生まれ変わっているのだよ、って事で。 寂しい出来事がある。人事だ。 多くを教わった男だ。 一生ものだ。 素晴らしい事なのだ、それぞれの生き様なのだ、 私だって何故東京にいるのか?の問いには答えられない。 必要とされる事は生き甲斐だ。 そうさ、生きてりゃ色々あるさ。 パスポートが要る訳じゃなし。 近所でちちくりあってるだけが“友”ではない。 OK、わかった! 必ず行くからそこで待ってろよ。 そして酌み交わそう。 だから健康でいてくれ。 ■2005.2.16(水): 腹が立つわ。 おっかねえCMを夜中に勝手に流すなっつーの。 変な音使うなっつーの。 5秒でいいから「これから恐いの流れるよ」って予告してくれ! ぜってぇ観ねえ。カリカリカリ、、、 ■2005.2.13(日): スペース・ゼロにて。 AND ENDLESS第23回公演“西遊記” 劇団☆新幹線を思い出した。 総勢60名。全員並ぶとさすがに圧巻。笑った。 楽しかろう、幸せそうだった。 俺もやりたい、ベース100人。 ■2005.2.12(土): 友人と。 小洒落た店かカウンター親父系どっちにする? 当然カウンターと答えたが 「せっかくだから」と小洒落た店に行くことにする。 飲めなかった子が旨くて安い店をやたら知っていたりすると この何年かで何があったんだろう?などと考える。 全然年下だった印象なのに結構しっかりした大人の女になっている。 ニューヨークへと旅立つ彼女は今度会った時どうなっているのだろう。 1週間の旅行だけろ。 ■2005.2.11(金): ドラマ。 裏もわかるでしょ、テレビだと。 例えば待ち合わせで待ってる側と待たせる側。 なんだか色々あって大事な時に間に合わないんだけど けっこう努力してたりして。 現実は自分が生きている場所が中心で あとは全部想像するしかない。 今この瞬間に自分は誰にも認知されていないので 存在しないも同然なんだけど、確実に君を思ってる。 君はまさかこの瞬間に思われているなんて夢にも思ってない。 電話でもするか。 ■2005.2.10(木): ある政治家の言葉。 うへ〜、、、。 ものすごく大切な決断をする時は中間をとるのはよくない。 どちらもムズムズしてるのはよくない。 決めてそれに向かって成功を目指す。これがプロだ。仕事だ。 仲間はそれを解ってくれる。 だからチームはいい。プロ集団。 ■2005.2.9(水): 日本対北朝鮮。 ハラハラさせるぜ。 少年時代、私の目標はワールドカップだった。 たしか校庭でひとりサッカーボールを片付けていた私を見て 水谷先生が早朝サッカーに誘ってくれた。部活とは別。 人と争う徒競争はとても遅かった私もボールを追う脚は速かった。 それからしばらくして私はレギュラーに昇格。 週に一度の「ダイヤモンドサッカー」を観ているうちに 単身ドイツに渡り1FCケルンでストライカーとして活躍する事を決意。 年俸は5億。奥寺氏と一緒。 その後は子供達に教え、層を厚くしプロリーグを創る計画だった。 小学生の割には建設的だ。 ■2005.2.7(月): 名古屋ell.FITS ALLにて。 tae live futuring takashi otsuki 合奏は“girl friend” 素晴らしかった!ねぇ、観に来てくれたみなさん。 待っていてくれたり、駆けつけてくれたり 初めての感想を書いてくれたり、ありがとう。 今回もすぐ終わってしまった。 もっともっと旅が続けばいいのに、、、いつも思う。 その為にはやらねばならぬ事があります。 やらねばならぬ、やらねばならぬぅ〜 次は東京下北沢、club que ■2005.2.6(日): 大阪→名古屋。 移動日。 大槻氏をピックアップ、移動中はいつものように馬鹿テンションで これまたなんだかんだで無事到着。 たまにはゆっくりしよう、なんて連中ではない。 なめちゃいけない。 へたすりゃライブの日よりへとへと。 ■2005.2.5(土): 大阪neveにて。 tae live. すったもんだありながらも無事到着。 別件で来ていたsepa大槻氏がたこ焼きを持って 楽屋を訪ねてくれた。 sepaのライブが名古屋で9日にあるので 明日から行動を共にする。 面白くなりそうだ。 熱い客席は今回も健在で非常に嬉しい。 なんだろ、うまく言えないけど好きなんだな、この街。 “みる目”を信用できる。 頭に来ることもある。肌に合わないこともある。 それもそのはず異文化交流(おおげさ) 観に来てくれたみんな、ありがとう。 旨いもの食いましたか? ■2005.2.1(火): パーチー打ち合わせ。 渋谷のbarだがライブもやっている。 居心地の良いカウンターは高さと椅子が完璧だ。 私好みって事です。 ブラッティーマリーは超濃いめで 一杯目は押し込むように飲んだ。好み。 さあ、何をやらかしますか?Mr.spike |